【神社】宮崎県高原町|狭野神社は静観のパワースポット。参道には樹齢400年以上の狭野杉並木

2019/08/10

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こんにちは湯之元の隠れ家管理人のよっしーです。

ここの神社は、佐野神社ではなく、狭野神社(さのじんじゃ)と書きます。湯之元の隠れ家から一番近い神社です。

そして最も訪れて欲しい神社です。さっそく行ってみましょう。

ちなみにこちらは高原町のパワースポット巡りです。

 

とにかく狭野神社は一言でいうと「静寂」です。杉並木に覆われているせいもあるかもしれませんが、静かに時が流れているようです。

狭野神社(さのじんじゃ)は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社です。旧社格は県社で、後に官幣大社宮崎神宮の別宮となりました。現在は再び独立の神社となり、神社本庁の別表神社になっています。霧島六所権現の一社です。

狭野神社の入り口は3カ所あります。

最も長い距離を歩く参道は国道沿いから入る表参道で約1.3kmあります。健康な方はここから歩くと良いでしょう。また、一番多く使われるのは南参道の鳥居から神前まで約260m。ほどほど歩いて神前までたどり着くことが出来ます。体調の悪い方などは西参道(60m)から進むことをお勧めします。

 

狭野神社の参道

直線の参道では日本で一番長いといわれる狭野神社の参道沿い。

美しい杉並木となっており、ご参拝前に歩くと心が清められる感じが致します。

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狭野神社の杉並木は、慶長4年(1599)、薩摩藩主島津義弘が朝鮮出兵の戦勝記念に植えさせたと伝えられています。

御祭神 神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこすめらみこと)
御幼名 狭野尊

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以下、狭野神社現地掲示板より

狭野神社は孝昭天皇(人皇第五代)の御代、神武天皇の御降誕の地に社殿の創建があったのが狭野神社の創紀というそうです。その後、再三に亘る霧島山の噴火により社殿等炎上の災厄に遭ったが慶長15年(1610)現在地に社殿を建造還虚された。その他藩主島津氏より社殿の改築、社領の寄遭が行われた。

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太古、天皇は日向の国(宮崎県)より大和の国(奈良県)に入り、辛酉の春(2月11日)橿原の宮に即位された。

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我が国ではこの年を建国の時として紀元元年としている。そして天皇は民生安定を目標として、同胞一体、国土の開発経営に当たられた。その治績徳望を称えて、始取天下之天皇とも申し上げている。

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ここに日本国の基礎、政治の基本が定められた。日本人は神武天皇を建国の英主と仰ぎその聖徳を忘れない。また天皇は127才まで長寿であったと言われている。

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狭野神社は、古来霧島六社権現(霧島神宮外)の一つとして、事始めの神(事業所安全)、厄除開運、交通安全、子供達の守り神、長寿の神として人々の篤い崇敬をあつめている。

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狭野神社の仁王様

意外と知られていない、狭野神社の中入口の北側にある二体の仁王様。

古く享保時代に神徳院(狭野神社の別当寺)守護神として建立されたといいます。また、大豆の神様とも言い人々の足腰の痛みを癒してくれる神様とも伝えられます。ぜひここにもお立ち寄りください。

さらにその横には、「新燃岳大噴火乃碑」と刻まれた石碑があります。石碑裏面には避難勧告発令や避難者数、噴石などの実態を伝える文も彫り込んでるようです。

 

主な祭典行事
例祭   10月23日
祈年祭  2月18日

 

狭野神社

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